猪飼勝三郎の解説【青天を衝け】一橋家の家臣(幕臣)

猪飼勝三郎とは

猪飼勝三郎(いかい-かつさぶろう)は、幕末の一橋家の家臣で側用人(そばようにん)の武士です。
2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」では、俳優の遠山俊也(とおやま-としや)さんが、演じられます。
遠山俊也さんは、朝ドラ「ひよっこ」では、助川時子(佐久間由衣さん)の父親約、エールでは高校野球・公募歌詞選考会の審査員役でも出演されていましたので、お馴染みです。




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さて、NHKの説明によると、猪飼勝三郎なる武士の設定は下記のとおりです。

若かりし小姓時代、徳川慶喜に怪我をさせるという失態をおかすが、戒めることなく寛容に受け入れた慶喜にほれ込む。いかにも人のよい性質で、一橋家に仕官したばかりの、渋沢栄一渋沢喜作の世話をあれこれと焼く。

このように、猪飼勝三郎は、御三卿である一橋徳川家(ひとつばしとくがわけ)に仕える幕臣だったようです。
青天を衝けでは、仕官したばかりの渋沢栄一と渋沢喜作に「鍋」の購入費用として、お金を貸しています。

一橋家とは

一橋家(ひとつばし-け)と言うのは、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の4男である徳川宗尹(とくがわ-むねただ)が家祖となります。
将軍・徳川吉宗は、長男・徳川家重を次期将軍と定めると、後継者争いを避けるため、他の有能な子は、諸藩に養子にも出さず、別家を起こさせました。
それが田安家であり、一橋家でもあると言う事になります。

一橋家(一橋徳川家)は、江戸時代中期の1735年に成立し、石高は約10万石ですが、諸藩のように、ずっと固定された領地と言うものが、基本的にありません。
日本全国各地の幕府直轄領から、約20箇所を分与されていたため、城持ちではなく、屋敷は、江戸城下に構えていました。
その屋敷(邸宅)が、江戸城の一橋門を入ったところにあったので、徳川家(将軍家)と区分するため「一橋家」と、呼ばれる次第です。
ちなみに、田安家は、田安門の中(近く)にありました。

なお、徳川将軍家に次ぐ地位を持っていたのは、尾張藩紀州藩水戸藩の徳川御三家(ごさんけ)なのですが「将軍家に後嗣が絶えた時は、尾張家か紀州家から養子を出す」と言う決まりがあります。
その次に、将軍を出せるのが、御三卿(田安家・一橋家・清水家)でして、一橋家の2代当主・徳川治済の子である徳川家斉が、江戸幕府の11代将軍になったことから、御三卿の中でも、唯一将軍を出した実績がある、家柄でした。
徳川宗家では、第7代将軍・徳川家継が8歳で早世すると、以後、御三家筆頭の尾張家を抑えて、紀州から将軍も輩出しています。
そして、水戸の徳川斉昭は、水戸徳川家から、将軍を出せないので、7男の徳川慶喜を、次期将軍になれる可能性もある、一橋家の当主に据えたと言う事です。

その徳川慶喜を支えたのが、側用人の猪飼勝三郎、側近になった平岡円四郎、その部下である波岡一喜らと言う事になります。




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しかし、猪飼勝三郎に関して、これ以上、詳しいことは、この執筆時点では、不明といったところです。
もし、新しいことが、わかりましたら、追記・更新させて頂きます。

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