黒川嘉兵衛とは
黒川嘉兵衛(くろかわ-かへえ)は、幕末の旗本で、父は小林藤兵衛とされます。
そのため、黒川家に養子に入ったものと、推測されます。
1853年、浦賀奉行組頭(浦賀奉行支配組頭)であった黒川嘉兵衛は、ペリー提督の黒船が来航したため、ポーハタン号に乗り込み、アダムス艦長および通訳ウィリアムスとポートマンなどと、折衝交渉事務(事務折衝)対応に当たっています。
<注釈> 組頭と言うのは、実質的にNo2の地位と考えられます。
また、吉田松陰が、黒船に乗り込もうとした、海外渡航未遂事件では、訊問を担当しました。
2015年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」でも、そのシーンが登場し、俳優・おかやまはじめさんが、黒川嘉兵衛(黒川雅敬)を演じています。
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1854年、黒船が再びに日本にやってきた際には、下田奉行所の組頭として折衝に当たり、アメリカ艦隊に乗船していた従軍写真家であるエリファレット・ブラウン・ジュニアが、黒川嘉兵衛を写真撮影しました。
これは、日本人で初めて銀板写真に写ったとされます。
その後、安政5年(1858年)から大老・井伊直弼による安政の大獄にて、免職となり差控になりました。
<注釈> 差控(さしひかえ)とは、自宅での謹慎すると言う、比較的軽い懲戒処分の事を言います。
第13回より登場
<#青天を衝け 登場人物>
文久3年より一橋家に取り立てられる。将軍後見職となった慶喜の上洛に先駆けて京都入りし、平岡円四郎と共に慶喜の側近として仕えた。やがて一橋家の用人筆頭となり、栄一は黒川の部下として働くことになる。 pic.twitter.com/F4gJSESwTX
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御小人目付(おこびとめつけ)として復職した模様ですが、1863年、将軍・徳川家茂が上洛し、一橋慶喜が、将軍の名代として朝廷との交渉を開始します。
この時、人材を広く募集していた一橋家に取り立てられ、黒川嘉兵衛(黒川雅敬)は、陸軍取立掛、そして用人見習となって上洛しました。
1864年2月には、番頭兼用人となり、家老の平岡円四郎と共に、一橋慶喜を補佐するようになっています。
平岡円四郎が水戸藩士の江幡広光・林忠五郎らに暗殺されると、黒川嘉兵衛(黒川雅敬)が切り盛りするようになります。
天狗党の乱では、黒川嘉兵衛に渋沢栄一などの部下が属して、鎮圧のため出陣もしました。
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1866年、幕府より禄が加増されて300俵となりますが、徳川慶喜が第15代将軍になった前後に、疎まれて失脚し、一橋家を離れて、若年寄支配に登用されています。
ただし、この理由は、詳しくわかっていません。
鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍は大敗し、江戸城に戻った将軍・徳川慶喜に再び仕えて、目付となり、謹慎する徳川慶喜の助命嘆願を行うため、津藩などを訪ねたほか、上洛しました。
晩年は京都で過ごしたとされ、詳細は伝わっていませんが、明治18年(1885年)に亡くなったようです。
2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」では、みのすけさんが、黒川嘉兵衛を演じられます。
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