川村恵十郎の解説【青天を衝け】一橋家の家臣(幕臣)

川村恵十郎とは

川村恵十郎(かわむら-えじゅうろう)幕末の一橋家の家臣・武士です。
2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」では、俳優の波岡一喜(なみおか-かずき)さんが、演じられます。

NHKの説明によると、川村恵十郎なる武士の設定は下記のとおりです。

徳川慶喜の側近・平岡円四郎の部下として柔軟に動き、鋭い目つきで情報収集に努める。
江戸の酒場で見かけた、威勢のいい渋沢栄一渋沢喜作に最初に目を付けた。
攘夷(じょうい)派から命を狙われる、平丘円四郎のそばに付き、護衛を務める。

このように、川村恵十郎は、剣術に覚えがあり、強そうなイメージの武士のようで、別名は川村正平(かわむら-しょうへい)とも言うようです。
川村氏は、武蔵・高尾にて、小仏関所の関所番を務めていた家柄のようです。




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川村恵十郎(川村正平)は、江戸時代後期の1836年(天保7年)生まれで、幼い頃より、幕末の多摩でもやっていた天然理心流にて、剣の腕も磨いたようです。
1855年2月には、小仏関所番見習となっていますので、恐らくは長男だったと考えられます。
このように、武技にも秀でて、奈良の竹林坊・赤松光映に師事すると、推挙されて、川越藩主・松平直克に仕えました。

一橋慶喜の家臣に

1863年、京都に赴いていた際に、将軍・徳川家茂と上洛していた一橋慶喜の家臣(普請役見習)になったようです。
朝廷と幕府方の折衝に関して、一橋慶喜に建白書も提出したとされます。
また、一橋家では、農民募兵の担当にもなったことから、大河ドラマ「青天を衝け」では、一橋家の御用談所調方頭取(ごようだんしょしらべかたとうどり)として、渋沢喜作と出会うようです。
そして、川村恵十郎(川村正平)は、平岡円四郎の警護役も務めました。
1864年6月、側用人兼番頭の平岡円四郎が、京にて水戸藩士江幡広光、林忠五郎らに襲撃された際には、川村恵十郎が2人を切り倒しています。
しかし、川村恵十郎も、顔面に刀傷を受け、以後「傷の正平」と称されました。
この功績にて、十人頭に出世すると、200石となっており、渋沢栄一と渋沢成一郎が従っていた模様です。

1866年12月、徳川慶喜が将軍になっても引き続き側を離れることなく、鳥羽伏見の戦いでは大坂城、江戸城に戻る際にも付き従い、駿府で蟄居した際にも同行しました。

明治新政府となると、官僚として、1873年には大蔵省に出仕。
1874年には、内務省に移って、大久保利通に随行する形で清国へ渡航しています。
1875年、正院に出仕し、1877年には太政官となり、明治天皇の東北巡幸にも供奉。
1883年には、宮内省にも出仕しました。
1885年、内閣の記録役人となると、1890年には、内閣恩給局勤務となっています。




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1893年12月に退官し、1898年まで、日光東照宮禰宜を務めました。
このように、かなりの経歴を残しています。
川村恵十郎(川村正平)は、1898年6月13日に死去。63歳。

子供には、新日本劇を設立した劇作家・川村花菱(川村久輔)さんがいますが、だいぶ晩年に生まれた子のようです。

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