大橋訥庵(おおはしとつあん)の解説~坂下門外の変を画策した攘夷派の儒学者

大橋訥庵とは

NHK大河ドラマ「青天を衝け」にて俳優の山崎銀之丞さんが演じれる大橋訥庵の解説です。
大橋訥庵(おおはし-とつあん) は、幕末の1816年に、間々田宿(栃木県小山市間々田)にて生まれましたが、父は儒学者の清水赤城(しみず せきじょう)で、4男となります。
父・清水赤城は、長沼流兵学に精通していたことから、大橋訥庵も儒学者となりますが、後継者としては認められなかったようです。
14歳のとき信濃・飯山藩士である酒井義重の養子になり、1835年、藩士として江戸留学し、佐藤一斎に師事していますが、のち離縁したとの事です。

大橋訥庵

1841年、26歳のとき、江戸日本橋の豪商「佐野屋」(真岡もめん問屋)の大橋淡雅の娘・大橋巻子と結婚して婿養子となったようで、以後、大橋氏を称しました。
また、日本橋に思誠塾(しせいじゅく)を開くと、尾高長七郎(尾高惇忠の弟)も塾生のひとりとなっています。
1850年には下野・宇都宮藩主の江戸藩邸に出向き、藩主・戸田忠温に、月1回、儒学を教えています。
1853年、マシュー・ペリー提督黒船来航となると、尊王攘夷を江戸幕府に進言し、水戸藩主・徳川斎昭にも攘夷実行をお願いしています。




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安政5年(1858年)、大老・井伊直弼が、攘夷論者を弾圧した「安政の大獄」では、橋本左内や飯泉喜内らとともに斬首された儒学者・頼三樹三郎の遺体を、門弟とともに密かに棺に納め、埋葬しています。
1860年、水戸藩士・高橋多一郎と金子孫二郎が中心となって、水戸藩の脱藩者17名と薩摩藩士1名が、江戸の彦根藩邸から江戸城に登城する行列を襲撃します。
そして、大老・井伊直弼を暗殺しました。(桜田門外の変)
その後、江戸幕府を動かすことになった、老中・安藤信正は、公武合体のため、孝明天皇の妹・和宮と、第14代将軍・徳川家茂との婚姻を画策します。
朝廷に攘夷の勅命を出した欲しかった大橋訥庵は、倒幕を考えるようになりました。
そして「政権恢復秘策」を上奏するため、門弟の椋木八太郎を京都に派遣しましたが、朝廷は和宮の降嫁を決定しました。

水戸藩では、西丸帯刀野村彝之介住谷寅之介らと、長州藩の桂小五郎松島剛蔵らが、連携して行動する事を約束した「水長の盟約」(成破盟約・丙辰丸の盟約)が結ばれていたことから、水戸藩の同志に、外国人を襲撃しようと誘います。
大橋訥庵も独自に、攘夷実現のため挙兵しようとしましたが、思うように人数が集まらず、断念しました。
逆に水戸藩の攘夷派(野村彝之介、原市之進、下野隼次郎、住谷寅之介など)は、老中・安藤信正を暗殺することを提案してきたため、大橋訥庵は老中暗殺計画を練っています。




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坂下門外の変

井伊大老が暗殺された「桜田門外の変」に対して「坂下門外の変」という事変があります。
1862年1月8日、大橋訥庵は、一橋家の徳川慶喜の近くに仕える山本繁太郎に、上書を取り次いで欲しいと依頼しました。
これを、山本繁太郎は、幕府の者に報告したため、老中暗殺計画が露見します。
そのため、1月12日、南町奉行によって大橋訥庵は捕縛され、翌1月13日、思誠塾に捜索が入りました。
1月15日、水戸藩浪士・平山兵介(細谷忠斎)、小田彦三郎(浅田儀助)、黒沢五郎吉野政介)、高畑総次郎(相田千之助)、下野の医師・河野顕三(三島三郎)、越後の医師・河本杜太郎(豊原邦之助)の6人は、安藤信正の行列を襲撃しています。
井伊直弼が暗殺されてから、行列の警備は厳重でもあり、安藤信正の背中に軽傷を負わすも、6名は全員、その場で討たれています。
<注釈> 実行日の1月15日は、嘉例の式日で諸大名が、江戸城に総登城して、将軍に拝謁する事になっていたため、決行日としていた。

小伝馬町の牢獄に入れられていた大橋訥庵は、宇都宮藩の家老・間瀬和三郎らの赦免運動や獄中で病気になったこともあり、7月8日に宇都宮藩邸預かりとなっています。
<注釈> 宇都宮藩は、養父・大橋家の縁があった。
しかし、7月12日の早朝、死亡。享年47。




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顔色が黒変していた様子から、毒殺と見られますが、病気が重かったことから、自分で毒を飲んだ可能性もあります。

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