ペリー来航の意味【アメリカの思惑】

ペリー来航

アメリカが日本と貿易をするきっかけ

たとえば、幕末のペリー来航を例に取ってみましょう。
幕末といえば、江戸幕府の秩序が乱れて、内憂外患の時代だといわれていました。
この始まりがペリー来航でした。

ペリー来航

ペリーのいたアメリカでは、列強の中では遅く近代化した国でした。
そのため、当時の中国は早く列強となったイギリス、フランス、ロシアが覇権を握っており、勢力範囲を多く持っていました。
一方で、アメリカは勢力範囲をほとんど持っておりませんでした。
この状況を挽回するための策をアメリカ政府は考え、日本との国交を結ぶことにしました。
なぜ日本なのでしょうか。

それは、①地理的に中国に近く、補給地点としての役割があったから②未だに日本との国交を結んだ国は存在せず、もし国交を結べば、アメリカがはじめての国になるからです。
アメリカ政府は自分たちが世界の歴史で言ったら一番若く、そういうものが世界の歴史をつくっていくべきなのだと思っていました。
こうして、ペリーはすでにこの時は60歳ぐらいに近く、普通であれば名誉職に就くのが普通でした。
しかし、日本との国交を結ぶために尽力するのです。
③アメリカと他国が戦争するとき、第三国が戦争の仲介をするのですが、第三国や他国の領土に停泊することは条約的には禁止されています。
そのため、停泊するところがないアメリカにとっては日本との条約を結ぶことは必須だったのです。

通訳士を見つける

ペリーはまず中国に向かいます。
なぜ中国に向かったのでしょうか。
それは中国語と日本語は同じで、中国語の通訳士を獲得し、日本人との会談に向かおうとしたのです。
こうして、中国文化に一番詳しいウィリアムズに出会いました。
しかし、ここでショッキングなニュースを聞くわけです。
日本語と中国語は実は違っていたのです。
ここで、ぺりーはウィリアムに対して「では中国語は話せるか?」と聞き、ウィリアムは「中国語なら話せる」といいました。
次に日本への親書を書かなければなりませんでした。
ここでは、アヘン戦争が終わり、南京条約が結ばれました。
それと同じ条件の条約をアメリカと中国が結ぶ望厦条約があります。
この条約は通商と和平を結ぶというものでした。

しかし、ペリーは日本との国交を結ぶことを重視し、通商条約を結ぶことは別の機会に回しました。
そのため、望厦条約にある和平と通商から通商という不要な条文を削除したのです。
また、名前も英語では通じないため、それは提督ペリーです。
こうして、ペリー一行は日本へと向かいました。

日米和親条約締結

ペリーは二回日本へと向かいました。
一回目は日本側から「一年待ってくれ」といわれたので、中国に引き返しました。
二回目に現れた際には日本側との交渉が始まりました。
まず、ペリー側からの親書を日本側は受け取りました。
幕府には、中国語の通訳士が約20人おり、彼らが中国語を翻訳しました。
この際に、望厦条約にある不要な条文を削除したのが仇となり、文章の論理にねじれが出てしまったのです。
このねじれを幕府側の中国語の通訳士たちは見抜きました。
その後、ペリー一行は圧倒的に不利になり、日本側は有利になりました。
ではいかにしてアメリカ側は挽回すればよいのでしょうか。
それは「お土産」でした。
この後に行われた「祝賀会」では日本側をもてなすために、アメリカでも高価なワインを渡しました。
次の日には、約2㎞の路線を敷き、そこに列車を走らせました。
この時の日本側の民衆は見たことがなかったので、結構盛り上がったといいます。

また、ペリーは幕府側に「ペリー」と名のついた扇子をプレゼントしました。
この時に、幕府側から「ぺりー」を中国語で書いて欲しいといわれました。
ペリーは自分の名前を中国語で書いたという逸話があります。
 こうして、幕府はなんとか条約の締結にこぎつけました。
その条約を日米和親条約といいます。
この条約が結ばれる前、また飲み会が行われました。
その時に、幕府側の役人に絡まれてこのように言われました。
「日本とアメリカとの間に条約が結ばれれば、キスしてやる」というふうにいわれました。
この時のペリーにとっては、自分よりも若い人たちにこんな嫌味を言われて結構傷ついたそうです。
かれはメンツをつぶされてでも未来のために尽くす姿勢は優れているといわざるを得ませんね。
これぐらい当時の幕府側からしても、条約は結ばれることはないだろうと思われていたのです。
その後、条約は結ばれましたが、開港場は下田、箱館、神戸、新潟などの場所に限られました。
また、この開港場はもちろん貿易もしました。

しかし、ほとんどは遭難した人の救助という役割でした。
また、ペリーはアメリカと日本は将来ライバルとなると言っていました。
つまり、幕府は決して無能であるとは言えないのです。
むしろ優秀であり、日本を守ったともいえるでしょう。

(寄稿)ロジカル

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