栗本鋤雲の解説~医者から外国奉行そしてジャーナリストとして名を上げる

栗本鋤雲とは

栗本鋤雲 (くりもと-じょうん) は、代々幕府に仕え典医を務めていた喜多村槐園の3男として、幕末の文政5年(1822年)に生まれました。
母は、鬼平として知られる長谷川平蔵(長谷川宣以)の姪になる、三木正啓の娘です。
兄に幕府医官の喜多村直寛(きたむら なおひろ)がいます。
2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」では、俳優の池内万作さんが、栗本鋤雲を演じられます。

栗本鋤雲

栗本鋤雲は、安積艮斎の塾に入門した9歳のときに喀血し、長年苦しみましたが、1838年、17歳の時からは健康を取り戻したようです。
天保14年(1843年)に江戸幕府の学問所・昌平坂学問所に入学すると、試験で優秀な成績を収めたため、白銀15錠の賞を受けています。
1846年、25歳のときには、ンつ休みで甲州に旅行すると、富士山と金峯山にのぼりましたが、帰りに旧病が再発し数ヶ月苦しんだようです。
1848年、26歳のとき、幕府奥詰医師の家である栗本氏の養子になって、奥詰医師となりました。

1855年、34歳のとき、オランダから幕府に献上された蒸気船・観光丸の試乗に応募します。
すると「漢方を旨とする奥詰医師が、西洋艦に乗りたいとは不届き千万」と、先輩の岡櫟仙院?から嫌われたようで、奥詰医長から咎めを受け、一時謹慎となっています。
そして、1858年、ついに侍医から追われて左遷となり、蝦夷地への赴任を命じられ、箱館に移住しました。
蝦夷においては、千歳湖畔にて、朝鮮産と同じ北五味子を確保し、将軍使用のため、毎年、幕府に献上するようにと命じられています。
函館では約10年間過ごしており、フランス人宣教師メルメ・ド・カションには、日本語を教える代わりにフランス語を学んでいます。
また、栗本鋤雲は、山の上町遊廓の梅毒治療のため、箱館医学所(函館市立病院)建設し、七重村薬園も創設し、久根別川の通運交易や、八王子千人同心らを箱館に移住させると、養蚕業を盛んにするなど、蝦夷地の発展に尽力しました。
これらの事業が、いずれも成功したため、江戸幕府は評価して、1862年、士分に取り立てると「箱館奉行支配組頭」を任じています。

1862年、箱館奉行・竹内保徳の命により、樺太や南千島、北緯48度使犬部属人種住地(アリュート族?)まで探検し、更にはエトロフ、クナシリの2島を巡視して戻ると、ロシアとの外交に関して建白書を提出しています。
すると、ただちに江戸にもどるよう命じられて、昌平坂学問所の頭取、さらに目付に登用されています。

また、翔鶴丸の修理を担当し、セミラミース号のフランス人技師エーデららと、八丈島へ試験航海すると、前年漂流して島にいた長崎の役人を救い出しています。
その後、栗本鋤雲は、横須賀製鉄所御用掛(造船所建設)を担い、また、フランス人医師より、麻酔による痔の治療を受けています。
更には、箱館時代にフランス駐日公使ロッシュの通訳を務めるメルメ・カションと交流もあったため、フランス式軍政を導入する江戸幕府のために、栗本鋤雲は外国奉行となり、そして、勘定奉行・箱館奉行を兼任しました。
1866年、従五位下・安芸守に叙任され、勘定奉行・小栗忠順らと親交を深めています。

パリへの渡航

1867年、徳川昭武渋沢栄一らの一行が、パリ万国博覧会へ出席する際には、栗本鋤雲も同行して、フランスに渡りました。
全権・向山一履が帰国したあとのフランスとの関係修復や、イギリスとの外交交渉に務め、日本学者のレオン・ド・ロニーとも交流しました。
また、日本人最初のアルプス登山者としても知られます。
しかし、ヨーロッパ滞在中に、外国奉行・川勝広道から、徳川慶喜の大政奉還と、江戸幕府の滅亡の報を受けます。
そして、1868年6月24日(慶応4年5月17日)にフランスより帰国すると、家禄を返上して小石川大塚にて帰農しました。
その後、新政府からの出仕の誘いも断り、その後一時世間との交わりを立ちましたが、1872年(明治5年)、仮名垣魯文(かながき-ろぶん)の推薦で「横浜毎日新聞」に入社します。
このように、ジャーナリストとして活躍の場を得て、翌1873年には郵便報知新聞(報知新聞)に、月給150円で編集主任として招かれ、1885年(明治19年)、65歳で退社するまで福沢諭吉門下を集め、民権派新聞の先導者として成島柳北・福地桜痴と並ぶ名記者といわれました。

1897年(明治30年)、栗本鋤雲は気管支炎にて死去。享年76。
墓所は東京都文京区大塚の善心寺にあるようです。

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  • […] 使節団の責任者は、若年寄格・勘定奉行格・外国奉行を務めていた向山一履です。 団随行員は、徳川昭武の小姓らで構成され、渡航経験がある田辺太一、杉浦譲、保科俊太郎、栗本鋤雲など7名が警護役を務めました。 会計係は、幕臣になっていた渋沢栄一で、随行医は高松凌雲、通訳は山内堤雲と、翻訳者として箕作麟祥です。 また、会津藩から海老名季昌・横山常守、佐賀藩の佐野常民、播磨山崎藩からは木村宗三、薩摩藩からは家老・岩下方平、唐津藩からも留学生が同行した模様です。 その他、世話掛であるフランス領事レオン・デュリー、英国公使館の通訳・シーボルトも、イギリス帰省のために同行しました。 パリに入ると、カプシンヌ街のガランドホテルにて滞在したようで、徳川昭武は、ナポレオン3世と謁見しています。 […]

  • […] 江戸幕府からは、15代将軍・徳川慶喜の弟で、御三卿・清水家当主である徳川昭武(15歳)が使節団の団長のような形になり、責任者は、若年寄格・勘定奉行格・外国奉行を務めていた向山一履が務めました。 その他の団随行員は、徳川昭武の小姓らで構成され、渡航経験がある田辺太一、杉浦譲、保科俊太郎、栗本鋤雲など7名が警護役を務めました。 会計係は、幕臣になっていた御勘定格陸軍付調役の渋沢栄一で、随行医は高松凌雲、通訳は山内堤雲と、翻訳者として箕作麟祥です。 また、会津藩から海老名季昌・横山常守、佐賀藩の佐野常民、播磨山崎藩からは木村宗三、薩摩藩からは家老・岩下方平、唐津藩からも留学生が同行した模様です。 その他、世話掛であるフランス領事レオン・デュリー、英国公使館の通訳・シーボルトも、イギリス帰省のために同行しました。 パリに入ると、カプシンヌ街のガランドホテルにて滞在したようで、徳川昭武は、ナポレオン3世と謁見しています。 […]

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